私のかつての奇跡の箱、それは今「フォーカシング」として

自分の中に、何か魔法の箱のようなものがある。そのことに気づいたのは中学生のころだったろうか。

 

何か迷うこと、わからないこと、どうしたらいいかわからなくなったとき、静かにじっとして、自分の内側に目を凝らす。するとじわじわじわっと、何か見えないところから、こちらがわにはみ出してくるような、せり出してくるような形で「答え」が浮かび上がってくる。

 

自分の中心にある何かから、それがやってくることはわかる。

でも、その「中心」自体は隠されていて見えない。

 

だから私はそれを「ブラックボックス」と呼んでいた。

自分にとって必要な答えを知りたいとき、うまくすればそのブラックボックスが助けてくれるのだった。

 

こちらから意識してそれに尋ねることもあれば、気づいたらいつのまにか答えが手の上に乗っていて、「あ、ブラックボックスからか」と気づくこともあった。

意図したタイミングで答えが届くこともあれば、うまくいかないこともあった。

期待しすぎてもだめだったし、ごり押すと答えが歪むようだった。

待つことがポイントだった。じっと、集中して、でも圧力をかけずに。

「邪魔されない」ことも重要だった。他人からも、また私自身によっても、その「答えがせり出してくる過程」を邪魔させてはいけなかった。

 

そんな風にして、自分の内側に存在するその不思議な「ブラックボックス」を私はひそかに育てた。

繰り返しそれに触れ、すこしずつ形を確かめた。

最初は見えない部分の多い大きな箱だったそれを、注意深く確かめながら、何年もかけて余分をそぎ、すこしずつ磨き、必要な部分の強度を上げ、その精度を高めた。

(と言っても、具体的に何をどうしたっていうのはうまく言えないんだけれど。)

 

高校のころには、それを「公式」と呼ぶようになっていた。(受験勉強の影響だと思われる。)

最初は長くて複雑だったけれど、最終的には(言うなれば“E=mc²”のようなとてもシンプルで強力な公式になった。

 

値を代入すると、最初の値とはまったく違った答えが現れる。その核となるところで何が行われているか、相変わらず実情はさっぱりわからなかったけれど、私の「公式」が繰り出す答えはいつも非常に明確で、長年のブラッシュアップの成果か、かつてに比べると比較的高確率・短時間で答えがやってくるようになった。

 

その「公式」を、自分自身で磨き上げたという確かな実感はある。けれどもそれは、決して私が「作った」ものではないことも知っていた。それはもとよりそこにあり、ただ私は自分の内側からたどり着ける魔法の箱の存在にはたと気づいて、よりうまくアクセスできるための方法や姿勢を模索しただけだ。私の中からたどり着ける何かだったけれど、それは決して私だけのものではなかった。「公式」の名の通り。

 

自分の中心の極まりが、自分ではない何かに通じている。その気にさえなれば誰もがアクセスでき、カスタマイズしていかようにも使いこなせる。

太古の昔から今まで、たくさんの芸術家、作家、思想家、職人・・・否、職業を問わず多くの人が、それを触媒や、あるいはジャンプ台のように使って、あちら側からこちら側へとすばらしいものを運んできたのだとわかる。

 

そして、「ああ、各々が、その方法を磨き上げていくんだな。大人たちは、多かれ少なかれ、皆それを自覚的に使いこなしながら生きているんだな」と、ある時点まで、当然のように信じていた。

  

が、どうも人は「公式」などと言ってそれを使ったりしていないらしい(というか、そもそも、そんなものはさっぱりわからない)という事実に気づいたのは大学の半ばごろだったろうか。

 

それを理解した時、私はとにかく心底驚いて、ほんとうに開いた口がふさがらなかった。

 

「公式」は決して特別な能力ではなく、言うなれば人の標準スペックだと思う。

でも、その存在に気づき、能力として磨く、という私の一連の(それなりに年月をかけた)作業は、けっこう特別なことだったのかもしれない。

 

振り返ってみれば、普通にしているつもりでも「何か人に見えていないものが見えているよね」と言われたり、自分の中の「王道」を通って導き出した答えを「論理が飛躍している」と笑われたり、「論理が飛躍している、と思うのになぜか説得力がある」と一目置かれたりして、いつもすこし変わり者扱いされてきた、そのことに納得もいく気がした。

 

砂に埋もれた何かがすこしずつ姿を現してくるようにして、徐々にはっきりとこちら側にやってくる「答え」は、よくわからない形、よくわからない姿であることも多い。

でも、どのようにかしてやってくるそれらは、結局のところいずれ私にとっての「宝」となるのだった。

 

「公式」を磨き上げることに勤しんでいた大学時代から10年ほど経ったころ、私は「フォーカシング」に出会った。2007年ごろのことだ。

 

自分の内側に感じられてくる、初めはぼんやりとした、徐々にはっきりと感じられてくる「特定の問題や状況についての身体の感じ」をジェンドリンEugene T. Gendlin、1926年 - 2017年5月1日)は、「フェルトセンス(felt- sense)」と呼び、それがせり出してくる境を「エッジ(edge)」、変化し続けるその感じを自分の身体の内側に確かめにいく作業を「直接照合(direct reference)」、人の中で変化し続ける現在進行形の生きた体験のさまを「体験過程(experiencing)」と呼んだ。

彼が1980年代に「創り出したのではなく、発見し」「教えられる形にした」「からだ内部でのある特別な気づきに触れていく過程」であるこの内的アプローチは、「フォーカシング(Focusing)」と名付けられた。

 

出会って以来もう10数年、私はこのフォーカシングを、飽きることなく夢中で学び続けている。多くのフォーカシングピープルがそうであるように、今や「もはやフォーカシングなしの人生は考えられない」けれど、そもそも初めてフォーカシングを知ったときでさえ、私にとってはすでに旧知のものだったとも言えるのかもしれない。

一緒にするな、おこがましい!と怒る人もいるかもしれないけれど。

 

「この行為を行うのに必要な内的能力はどの人間にも備わっているのに、ほとんどの人はそれを使っていないのです。もっとも、少数の人はこれを本能的に使っているようです。しかしみなさんはおそらく意識的にこれを使ったことはなく、またそういうことができるということに気づいてもいなかったでしょう」

―――ユージン・ジェンドリン『フォーカシング』p.28

 

何にせよ、「フォーカシング」は私たちの手の届くところにある。

たくさんの人に知ってほしいなあ。

 

https://www.focusing-network.org/

 

https://www.amazon.co.jp/dp/4571240023/

 

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